A・P・ヒルの戦死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 15:41 UTC 版)
「第三次ピーターズバーグの戦い」の記事における「A・P・ヒルの戦死」の解説
最初に突破した後は、ライトの第6軍団の幾らかはぐれた兵士が真っ直ぐサウスサイド鉄道の方向に進む一方で、軍団の多くは左に振れた。A・P・ヒルとロバート・E・リーは二人とも前線が突破されてから間もなくそれを知っていた。午前5時半頃、ヒルは2人の従卒と1人の副官ジョージ・W・タッカー軍曹と共に馬でリーに会いに出かけた。ヒルはリーと会った後に、即座にその馬に跨り、リーの参謀であり前線の状況を見るために送り出されたチャールズ・S・ベナブル大佐、タッカー軍曹、兵卒のウィリアム・H・ジェンキンスと共に進んで行った。ヒルはボイドトンの前線まで馬で行って、その防衛部隊を組織するつもりだった。 この一隊が進むうちに、別の伝令であるパーシー・G・ホーズが加わったが、ジェンキンスは北軍兵捕虜2名を連れてリーの作戦本部に送り返された。ヒルの隊員は状況が次第に危険になって来るように見えたので、それ以上前進を続けることについて警告を始めていた。ヒルは、ヘンリー・ヒースの作戦本部に到着するまで、森が自分たちを遮蔽してくれると言っていた。彼らがリッチモンドの前線から到着したウィリアム・T・ポーグ中佐の砲兵隊に接触できる位置まで来たとき、ヒルはエッジヒルにあるリーの作戦本部を守るようベナブルとポーグに命令した。ベナブルの要請でホーズが同行したので、タッカー軍曹とヒルだけが残された。 ボイドトン板張り道路の西では、ペンシルベニア第138歩兵連隊からはぐれた兵士2名、ジョン・W・モーク大佐と兵卒のダニエル・ウォルフォードが、ボイドトン板張り道路に並行する森の中の道を馬で進んでいるヒルとタッカーを偶然目撃した。ヒルはこの2人の降伏を要求したが、北軍兵はヒルに狙いを定めて発砲し、殺した。タッカーは逃亡し、リーの所に戻って、ヒルの戦死を報告した。
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