4校のうち2校が移転
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/04 09:58 UTC 版)
「陸軍予備士官学校 (日本)」の記事における「4校のうち2校が移転」の解説
1941年(昭和16年)、盛岡校は群馬県群馬郡の相馬原演習場に移転し、前橋陸軍予備士官学校(歩兵・砲兵)となった。8月1日施行の陸軍予備士官学校令改正(勅令第746号)により陸軍予備士官学校は前橋と豊橋に各1校、久留米に2校と定められた。これは奉天校が福岡県三井郡高良内村に移転、久留米第一陸軍予備士官学校(歩兵・砲兵)と改称し、従来の久留米校を久留米第二陸軍予備士官学校(輜重兵)としたものである。奉天校の代わりに中国大陸には軍令陸甲第1号により河北省保定市に保定幹部候補生隊が置かれ、北支那方面軍隷下部隊の甲種幹部候補生(歩兵、砲兵、輜重兵)に対する集合教育が行われた。
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