4代目米團治と『代書』
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4代目米團治本人は、代書人でありながら肝心の公文書作成が苦手であったため、代書業者としては専ら能筆を活かして表彰状や履歴書ばかり手がけ、公文書の依頼は別の代書人に回すかわりに、「ちゃんとした字がいるんやったらあそこへ行きなはれ」とそうした依頼者を紹介してもらっていた。 4代目米團治は戦後、京都の富貴に出た際に漫談家の花月亭九里丸から「ほかのネタはやめて『代書』だけやんなはれ。あれは受ける」と言われたのに反発し、10日間の高座をすべて『つる』で通したという。 『代書』創作70周年にあたる2009年に、地元の有志団体「東成芸能懇話会」などの発起で、東成区役所敷地の一隅(4代目米團治のかつての代書事務所の跡)に、4代目米團治の顕彰碑が建立された。同年5月2日の除幕式には米朝らゆかりの人々も出席し、東成区民ホールでは5代目米團治によって『代書』が口演された。 顕彰碑には「中濱代書事務所ノ地」の標記と並んで、東成区と4代目米團治や『代書』との関わりについての文章が刻まれており、5代目米團治の墨跡による「儲かった日も代書屋の同じ顔」が刻まれている。
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