2013年停戦
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「クルディスタン労働者党」の記事における「2013年停戦」の解説
2012年終盤にトルコ政府は、停戦をめぐってオジャランと秘密会談を始めた。 会談を進展させるため、トルコ政府高官が、北イラクにいるPKK指導者たちに、獄中のオジャランからの手紙を届けた。 2013年3月21日、停戦が発表された。4月25日、PKKがトルコ領を離れることが発表された。指揮官であるムラート・カラユランは、「進行中の準備の一環として、撤退は2013年5月8日に始まる。私たちの撤退中のゲリラ部隊は、攻撃、作戦行動、空爆の際は反撃権を行使する。また撤退は直ちに中止される」と述べた。半ば自治をしくイラクのクルド人地域は、北方の隣人の考えを歓迎した。平和民主党(BDP)は、進行中の撤退を不安に思う市民に説明するために、トルコのクルド人地域中で集会を開いた。党首のピナル・ユルマズは「5月8日は期待と恐怖の日だ」と説明した。「私たちは政府をまったく信用していない。多くの人びとが、もしもゲリラたちが一旦行ってしまったら、トルコ軍が再度私たちを叩き潰すのではないかと心配している」と述べた。 PKKの戦士集団は、計画された通り、トルコ南部国境からイラク北部国境を越え撤退した。しかし、バグダードのイラク人指導者たちは、自分たちの領内に武装集団を受け入れるつもりはないと宣言した。 「イラク政府はどのような政治的かつ平和的な合意も歓迎する。しかしイラクの治安と安定を損なう可能性がある武装集団を領内に受け入れることはない」と公式声明は述べた。バグダードとクルド自治区は既に一定の石油生産地域をめぐって反目しあっているため、北イラクにおける武装クルド勢力流入の見込みは、緊張感を高める恐れがあった。
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