2009年9月場所7日目 朝青龍戦
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「玉乃島新」の記事における「2009年9月場所7日目 朝青龍戦」の解説
朝青龍はまず玉乃島に左ひじをきめられて後退。苦境でうまくいなすと、俵に詰まった玉乃島は後ろ向きになった。朝青龍は両手で押しながら、痛めているはずの右ひざを、玉乃島の左尻にぶつけた(決まり手は送り出し)この「蹴り出し」に対する抗議電話は協会に対して10分以上、約30件続いた。朝青龍は「万全でない右足ではすり足ができず踏み込むためには足を大きく降りあげるしかなかった」という趣旨の説明をした。規則上「胸や腹を蹴ること」は反則だが、尻については明記されていない。武蔵川理事長(役職は当時、元横綱三重ノ海)は「体が一緒にいったんでしょう。蹴りじゃないよ」と流れと解釈し、土俵下の放駒審判長(当時、元大関魁傑)も「確かにひざは当たったけど、動きの中で、蹴りにいったとは見えなかった」と説明した。
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