1997年 シングルス初タイトル
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「杉山愛」の記事における「1997年 シングルス初タイトル」の解説
日本人選手トップとなって臨んだ1997年は、杉山を様々な角度からサポートする「チーム愛」を結成、コーチに丸山淳一、コーディネーターに母親の芙紗子を付けた他、トレーナー、マネージャーも加わるチーム体制でツアーを転戦するようになる。シングルスでは第6シードで出場した年初のゴールドコースト・クラシックで準優勝の好成績を収めると、第4シードで出場した4月のジャパン・オープンでは準決勝で第2シードのキンバリー・ポーを5-7, 6-4, 6-1で、決勝でエミー・フレージャーを4-6, 6-4, 6-4の逆転でそれぞれ下し、4度目のツアーシングルス決勝で初優勝を果たす。さらにノーシードで出場した10月のクレムリン・カップでは2回戦で第7シードのブレンダ・シュルツ=マッカーシーを6-4, 7-5で、準々決勝で第3シードのアランチャ・サンチェス・ビカリオ6-1, 7-6(1)のストレートで下す番狂わせを起こし決勝に進出。決勝では第1シード、当時世界ランク2位のヤナ・ノボトナに3-6, 4-6のストレートで敗れるも、自身初のティアI大会準優勝を果たした。 ダブルスではこの年からエレーナ・リホフツェワと主にペアを組むことが多くなり、5月のストラスブール国際ではこのペアで準優勝した他、9月のトヨタ・プリンセス・カップではモニカ・セレシュと組んで出場し、単複通じて同大会日本人初優勝を決めている。これらの活躍により年度末ランクはシングルスが20位と初めてトップ20で終了し、ダブルスでも77位 と不調だった前年から52位上昇する25位でシーズンを終えた。
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