1997年~1999年:ゼーマンの到来と10番の継承、そして史上最年少のキャプテンへ
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1997-98シーズンからは新監督にズデネク・ゼーマンが就任し、ゼーマンの下で左ウイングとして起用されるようになり、フィジカル面でもテクニカル面でも大きな成長を遂げた。また同シーズンから10番の背番号を与えられ、彼はトッティは4-3-3フォーメーションの利点を生かした縦への突破を見せるなど、チーム内でより大きな役割を担うようになった。同シーズンに1998年2月22日の2-0で勝利したアウェーのナポリ戦で得点を挙げるなど、セリエAの全試合で計13得点をマークし、チームの4位でのフィニッシュに貢献を果たした。同年のチェーザレ・マルディーニ監督率いる1998 FIFAワールドカップのイタリア代表メンバーには招集されなかったが、彼が同シーズンのセリエAで見せたその豊かな創造性と優れた得点力は高い評価を得て、イタリアのサッカー専門誌「グエリン・スポルティーボ」が選出した年間最優秀選手に与えられる賞であるグエリン・ドーロ(英語版)を受賞した。 翌1998-99シーズン、このシーズンからクラブのシンボルとリーダーとしての認知を得るようになり、1998年10月31日、当時のキャプテンであったアウダイールからキャプテンの座を継承し、わずか22歳の若さでセリエAにおける史上最年少のキャプテンとなった。同年10月29日、トッティは同じ都市のライバルチームであるラツィオを相手に3-3で引き分けた試合で同点ゴールを決めたが、これは彼のローマダービーでの初めてのゴールだった。最終的に彼はゼーマンの下での2シーズンで計30得点26アシストを算出し、1998-99シーズンの終了後にはオスカル・デル・カルチョの若手選手賞を受賞した。
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