1993年 - 2004年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 00:45 UTC 版)
「欧州緑の党」の記事における「1993年 - 2004年」の解説
1993年6月、フィンランド・キルッコヌンミにおいて欧州緑の党連盟 (European Federation of Green Parties) が EGC メンバーにより結成された。EGC 時代よりもさらに組織化され、3年ごとの会議、評議会に代表委員会も備えるようになった。欧州議会ではグリーン・グループとの関係をさらに強化した。 1994年の選挙では、緑の勢力は合計20議席を獲得した。内訳は同盟90/緑の党12議席、オランダのフルンリンクス1議席、エコロとアハレフが1議席ずつ、ルクセンブルク緑の党1議席、イタリアの緑の連盟2議席とアイルランド緑の党2議席である。後でデンマークの社会主義人民党から1名、イタリアのラ・レーテとボルツァーノ自治県の南チロル人民党から1名ずつが合流し、最終的な勢力は23議席となった。レインボー・グループから改称した欧州急進連盟とは、ここでも別のグループを組織した。 1999年の選挙においては、38議席を得る躍進を見せた。内訳は同盟90/緑の党7議席、フルンリンクス4議席、エコロ3議席とアハレフ議席、ルクセンブルク緑の党1議席、イタリア緑の連盟2議席, アイルランド緑の党2議席、フランス緑の党9議席、オーストリア緑の党2議席、フィンランド緑の同盟2議席、スウェーデン緑の党2議席、そしてイングランド・ウェールズ緑の党2議席である。ここでは、かつて欧州急進連盟に参加していた地域主義政党や独立勢力からなる欧州自由連盟と統一会派「欧州緑グループ・欧州自由連盟」を組むに至った。緑の勢力が人数の面でも政治的にも勢力を増しており、これらの勢力との関係も以前とは違ってきていたのである。
※この「1993年 - 2004年」の解説は、「欧州緑の党」の解説の一部です。
「1993年 - 2004年」を含む「欧州緑の党」の記事については、「欧州緑の党」の概要を参照ください。
- 1993年-2004年のページへのリンク