1.5リッターカー「W165」(1939年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 14:45 UTC 版)
「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の記事における「1.5リッターカー「W165」(1939年)」の解説
「 来年、ドイツ人たちをスクーターで参戦させたとしても、それでも彼らは勝つだろう。 」 —イタロ・バルボ(リビア総督。1939年トリポリグランプリ) 数年に渡って続いているメルセデスとアウトウニオンの圧勝に業を煮やしたイタリア勢はドイツチームの締め出しを図り、イタリアで開催されるグランプリレースに参戦できる車両を1939年からは(ドイツ勢が持っていない)1.5リッターエンジンの車両のみにするという規則を作った。これにかえって奮起したメルセデスチームは、1939年に向けて1.5リッター車を密かに開発して対抗した。 1939年5月に開催されたトリポリグランプリ(英語版)でメルセデスチームは1.5リッターの新型車「W165」をデビューさせ、このことはイタリア勢を驚愕させた。そして、投入された2台のW165はラングとカラツィオラに駆られてレースを完全に支配した。ノイバウアーはイタリア勢を完全に粉砕することを目論み、予選では手の内を晒さずイタリア勢にポールポジションを獲らせて安心させておいて、決勝レースでは完膚なきまでに圧倒し、ラングが難なく優勝し、2位のカラツィオラも3位のアルファロメオを5分以上引き離す大差を付けて1-2フィニッシュを飾った。 同車は9月に開催されるはずだったイタリアグランプリ以降も使用される予定だったが、9月初めにドイツが開戦したことによってシーズンは途中で終了となり、結果的にこの車両がレースに参戦したのはトリポリグランプリの1戦のみとなった。
※この「1.5リッターカー「W165」(1939年)」の解説は、「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の解説の一部です。
「1.5リッターカー「W165」(1939年)」を含む「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の記事については、「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の概要を参照ください。
- 1.5リッターカー「W165」のページへのリンク