北城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/24 00:41 UTC 版)
北城は南城西北端より300m以上離れ、標高で60m低い標高522mの別山になる。南城からは見下ろされる地形ながら、平坦地形に恵まれ大きい曲輪取りが可能になった。その結果北城が本城、南城が詰め城になったのではないかと思われている。南城は、山側は道から単純に出入りできる屋敷群で、防御もそれほど発達していない。それに対して、国中方面の主要曲輪群は土塁を伴い防御の効いた配置となっている。つまり東山内側が安全地帯、搦め手で、国中側が防御正面の大手であった。曲輪の相互支援の連絡通路は東山の内側で行われ、稜線連郭部分の土塁は国中側に設けられている。稜線上の連郭と、支尾根上の曲輪を放射状に配置し、山腹を迂回する道でそれらを横に結びあわせる形が基本となっている。 城内へは太鼓丸と巽櫓曲輪の2つの曲輪の間の虎口は、二重の食い違い土塁が二ヵ所あり、その間は丸い堀になり主郭ヘリ入り口を固めている。それ以外にも、西の大手丸、五人衆の曲輪、馬ひやし場、時の丸と呼ばれている曲輪がある。 この北城には「馬池」と呼ばれる揚水地があるが、これは馬の足を洗うだけの池ではなく、空堀土橋へ迂回されるための防御施設も兼ねている。馬池は林道が作られた為、大半が埋まってしまった。
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