黄金の七都市の探索
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/08 22:32 UTC 版)
1528年、ヌエバ・エスパーニャに戻ってきたパンフィロ・デ・ナルバエス遠征隊の遭難した4名の漂流者たちが、非常に裕福な町の物語を先住民の口から聞いたと言ったことで、伝説はさらに強化された。その4名のなかには、アルバル・ヌニェス・カベサ・デ・バカとエステバニコがいた。この話を聞いた副王アントニオ・デ・メンドーサは、フランシスコ会修道士のマルコス・デ・ニサを隊長にした遠征隊を組織した。デ・ニサはガイドとしてエステバニコを雇った。冒険の間、バカパ(Vacapa, おそらく現在のソノラ州近辺)と呼ばれる場所でデ・ニサはエステバニコを偵察に向かわせた。そのすぐ後に、エステバニコは財宝で溢れる都について先住民から話を聞いたことがある修道士と出会った。エステバニコはデ・ニサを待たずに、現在のニューメキシコ州にあるズニの集落ハウィクー(Hawikuh Ruins)に到達するまで旅を続け、そこで恐らく先住民の手によって殺され、彼の仲間たちは逃げた。 一方でマルコス・デ・ニサ修道士はメキシコシティに帰還し、北方の探険でテノチティトランよりもはるかに大きい町を遠くに見てきたと主張した。その町では、人は金と銀の皿を使い、トルコ石で家を装飾し、大粒の真珠やエメラルドやその他の美しい宝石を持っていたと語った。
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