鳥津という地名が出てくる古文書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/03 12:53 UTC 版)
「鳥津」の記事における「鳥津という地名が出てくる古文書」の解説
室町時代中期に活躍した禅僧・歌人である万里集九が書き記した「梅花無尽蔵注釈」には、以下のような記述がある。「諱は厳超、字は然そう。迺ち、石城の人なり。其の境に鳥津有り。十里の松有り。是を捨てて東遊し、士峯を看、學くわうをたづね、且、又、芳を洞上の宗師に尋ぬ。留止すること、凡そ一十有三霧。相陽の太守、雁釣閣下の幕府に往来す。今、西省の日に及んで、閣下、余を督し、陽くわんの新曲を作ら令めて云ふ。(石城とは即ち博多なり。鳥津は又、冷泉津がうす。)」 通釈「本名を厳超、字を然そうと云うが、この方は博多の人である。その地には鳥津(とりのつ)という所があり、また「十里の松」もある。こうした名勝の地を棄てて、関東に遊学し、富士を眺め、学校を尋ね、また曹洞宗の高層の下に法を学び、およそ十三年間、止まった。そして相模の国守で上杉定正閣下の本拠に往来していた。今、西の故郷に帰るにあたり、上杉閣下は私に命じて、新しく送別の詩を作らせた次第である。(石城というのは、博多のことである。鳥津は、また冷泉の津とも云ふ。)」
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