高麗朝廷による全面降伏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 08:16 UTC 版)
「モンゴルの高麗侵攻」の記事における「高麗朝廷による全面降伏」の解説
この間、高麗朝廷内部はモンゴルへの対応について2派に分かれていた。モンゴルとの戦争に反対し降伏を進めようとする文臣グループ(文班)と、モンゴルとの戦争を継続しようとする崔氏が率いる武臣グループ(武班)である。しかし、文臣の筆頭だった柳璥(朝鮮語版、中国語版)(ユ・ギョン)が武臣の金俊(キム・ジュン)と結託して崔竩(チェ・ウィ)を暗殺して崔氏政権を倒すと、モンゴルとの講和が進展する。崔氏滅亡を告げるモンゴル宛て国書で高宗は「今まで我が国が貴国に事大の誠を尽くせなかったのは権臣が政治を奪い貴国へ属するのを嫌がったためであり、崔竩が死んだ今、ただちに都を戻し、貴国の命を聞きます」と全面的な従属を宣言した。
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