高野寺 (高知市)とは? わかりやすく解説

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高野寺 (高知市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/17 06:23 UTC 版)

高野寺
所在地 高知県高知市本町二丁目3番18号
位置 北緯33度33分29.4秒 東経133度32分13.8秒 / 北緯33.558167度 東経133.537167度 / 33.558167; 133.537167座標: 北緯33度33分29.4秒 東経133度32分13.8秒 / 北緯33.558167度 東経133.537167度 / 33.558167; 133.537167
山号 遍照山
宗派 高野山真言宗
本尊 弘法大師
創建年 明治15年(1882年
開基 原信頂和尚
札所等 四国三十三観音霊場第13番札所
百八観音霊場第52番札所
法人番号 9490005000987
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高野寺(こうやじ)は高知県高知市本町二丁目に所在する高野山真言宗寺院。板垣退助の生誕地である[1]

概要

幕末の頃、高野山金剛峯寺塔頭上蔵院が焼失。焼失した堂宇を復興するために、院主であった原信頂和尚は諸国を巡錫していた。その折、廃仏毀釈により荒廃した土佐の仏閣の惨状を目にし、寺院建立を発願する。

明治10年(1877年)、板垣退助は生家を離れ潮江村潮江新田に転居した。この為、生家は空き家となり、立志学舎の校舎として使われたが、立志学舎は程なくして京町へ移転した。明治14年(1881年)4月、原信頂はこの板垣退助の生家を買い受け、高野山出張所の建設を開始[2]

明治16年(1883年)7月19日、建築落成(開基)。

昭和12年(1937年)、境内に板垣退助の精神を顕彰する板垣会館を建設。上棟式には第32代横綱・玉錦三右エ門4月6日落成式には頭山満、板垣退助長女・片岡兵子らが出席した[1]

昭和20年(1945年)7月4日の空襲により焼失したが、昭和39年に再建された。

かつては四国八十八箇所の番外札所として紹介されたが、今日では四国遍路との関連で言及されることは希である[3]

場所の歴史

土佐藩政期に板垣退助(乾家)の邸宅であったが、板垣が高知市潮江新田へ居を移した後、明治10年(1877年)、立志学舎が九反田の旧開成館からこの場所へ移った。この立志学舎は慶応義塾から教員を招聘し、英学を中心とした教育を行い、「関西の慶応義塾」とも呼称された[4]

板垣退助の顕彰

板垣退助先生誕生之地碑(高野寺)
左は板垣退助揮毫による「死生亦大矣」碑

昭和12年(1937年)4月6日、第4世住職・谷信讃の発願による『板垣会館』が建設された。高知大空襲によって本堂、伽藍もろとも焼失したが、板垣退助の命日にあたる7月16日は、板垣の歿後一年も欠かすことなく法要が営まれている[1]

平成30年(2018年)7月16日、明治維新150年・板垣退助第百回忌法要が挙行され、高知市長・岡崎誠也、板垣退助子孫、NPO法人板垣会、一般社団法人板垣退助先生顕彰会ほか、無双直伝英信流居合術の関係各位らも列席のもと挙行された[1]

境内

  • 本堂:本尊・弘法大師(秘仏)、脇仏・不動明王立像と愛染明王坐像、板垣退助位牌[1](裏面・安倍晋三揮毫)
  • 本堂の向かって右奥から手前へ石像や小仏像が並ぶ:不動明王、ひとこと地蔵、十一面観音、弥勒菩薩、聖観音。七福神
  • ぼけ封じ観音像
  • 板垣退助誕生之地碑
  • 死生亦大矣碑[5](板垣退助揮毫) - 無双直伝英信流居合保存のため板垣退助が道場建設に尽力したことを顕彰するもの[1]

出典

  1. ^ a b c d e f 『板垣精神 : 明治維新百五十年・板垣退助先生薨去百回忌記念』”. 一般社団法人 板垣退助先生顕彰会 (2019年2月11日). 2019年8月30日閲覧。
  2. ^ 甲斐源氏武田氏の支流・板垣氏の代々居を占する中島丁角邸は、先年立志社の学校となりし処、京町へ転校の後久敷無住たりしが、今般高野山の法主が代価三千円にて買い求め真言教会所を建立するとかや」(『高知新聞』明治14年4月21日号)
  3. ^ 三好廣太『四國遍路 同行二人』(明治45年)
  4. ^ 『自由のともしび』第76号(2014年3月)
  5. ^ 王羲之筆『蘭亭序』「古人云、死生亦大矣、豈不痛哉。(古人云ふ、死生も亦た大なりと。豈に痛ましからずや) 意味「昔の人は言った。死ぬことも生きることも(人にとっては)実に重大なことである。(それならば)なんと悲痛なことだろうか」また、荘子(内篇):德充符の「仲尼曰、死生亦大矣、而不得與之變」からとも。

参考文献

  • 『遍照山高野寺略縁起』
  • 『板垣精神』一般社団法人板垣退助先生顕彰会編
  • 『頭山精神』藤本尚則編、大日本頭山精精神会、昭和15年(1940年)


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