高橋清伍
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高橋 清伍(たかはし せいご、1908年(明治41年)2月21日‐不明)は、日本陸軍の軍人。陸士41期。最終階級は中佐。旧姓:森山[1]。
- ^ 『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿』(昭和7年9月1日調)327コマに記載あり。
- ^ 菊池 1995, p. 204.
- ^ 菊池寛の「西住戦車長伝」では50門とされているが、高橋は自身の著書においてこれを35門と表記している。当時の報道の信憑性から判断した結果、ここでは高橋自身の主張に沿って説明する。
- ^ 菊池 1995, p. 116.
- ^ a b c 指宿 1997, p. 81.
- ^ 戦車第七聯隊史刊行会 1992, p. 419.
- ^ 戦車第七聯隊史刊行会 1992, p. 455.
- ^ 戦車第七聯隊史刊行会 1992, p. 559.
- ^ a b c d 菊池 1995, p. 205.
高橋清伍
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詳細は「高橋清伍」を参照 新潟県出身(本籍は石川県)。戦車第5大隊第2中隊長。当時は大尉。自身が重傷を負った際は西住を中隊長代理に据えるなど、西住を非常に信頼していた。その後は戦車第6連隊の教育班長を務め、ルソン島の戦いにて連隊長代理で終戦を迎える。最終階級は中佐。
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