高屋城の略年表
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/25 16:04 UTC 版)
和暦西暦高屋城城主主な出来事文明11年 1479年 畠山義就 高屋城築城 明応2年 1493年 畠山基家 高屋城の西の口で合戦がおこる 明応6年 1497年 畠山義豊 畠山尚順が高屋城を落城させる 明応9年 1500年 畠山義英 畠山尚順が高屋城を攻城するが、敗退し紀伊国に落ち延びる 永正元年 1504年 畠山尚順 畠山尚順と畠山義英が和睦。高屋城に畠山尚順が入城する 永正3年 1506年 畠山義英 赤沢朝経が高屋城を落城させる 永正4年 1507年 細川政元方 永正の錯乱で細川政元が暗殺されると畠山義英が高屋城に入城する 永正5年 1508年 畠山尚順 赤沢長経が高屋城を攻城するが、畠山尚順が撃退する 永正17年 1520年 畠山稙長 畠山義英が高屋城を落城するが、この年再び畠山稙長に落城する 大永2年 1522年 畠山稙長 高屋城が大火によって消失する 享禄元年 1528年 畠山稙長 畠山稙長は柳本賢治と和睦、金胎寺に退く 天文元年 1532年 畠山義堯 飯盛城の戦いで勝利した山科本願寺衆が高屋城も攻め落とす 天文11年 1542年 畠山政国 畠山稙長が攻城し、畠山政国は大和国に落ち延びる(太平寺の戦い) 天文16年 1547年 畠山政国 三好実休が高屋城を攻める 天文17年 1548年 畠山政国 舎利寺の戦いで三好長慶が高屋城を攻め、畠山政国と和睦する 天文21年 1552年 畠山高政 畠山高政が高屋城の城主となる 永禄2年 1559年 安見宗房 三好長慶が高屋城を落城させ河内国を平定し守護となる 永禄5年 1562年 三好実休 久米田の戦いで畠山高政が三好実休を討ち取り高屋城に入城するが、教興寺の戦いで敗れると三好康長が高屋城に入城する 永禄11年 1568年 畠山秋高 畠山秋高が河内半国守護となり、高屋城に入城する 天正元年 1573年 畠山秋高 遊佐信教が畠山秋高を殺害し、三好康長も高屋城に入城する 天正3年 1575年 三好康長、遊佐信教 織田信長軍が高屋城を攻城、三好康長が降伏。そして廃城となる。 高屋城は河内国守護の象徴のような城となり、激しい攻城戦が繰り返され、その戦いの多さは和泉、摂津、そして河内の中でもっとも多い。
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