騎馬隊は存在したか
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 17:40 UTC 版)
色々な説があるものの、この戦いで織田徳川連合軍が馬防柵を構築していたことや、直前の5月18日付けで徳川家康より家臣宛に「柵等よく念を入れて構築するように。(武田方は)馬一筋に突入してくるぞ」という趣旨の命令書を発していること、信長公記に「関東衆(武田軍)は馬の扱いがうまく、この時も馬を使ってかかってきた」と書かれていること、実際に参戦した徳川家臣の日誌に「武田の騎馬武者が数十人で集団を組み攻めかかってきた」などの記述がある事などから、連合軍が武田の騎馬隊を注意深く警戒し、武田側が組織だって編成していたかはともかく騎馬武者の集団が幾度となく織田徳川軍の陣に攻めかかってきていたのは事実である。
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