香港・北京
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/11 01:13 UTC 版)
香港に逃亡した謝雪紅は廖文毅から台湾再解放連盟に勧誘されるがこれを拒否、自ら1947年に台湾民主自治同盟を結成し、主席の職責のまま中国共産党幹部への道を歩み始めた。 謝雪紅は1948年に中国大陸に進出、中国婦女聯合会副主席、人大代表、政協委員会などを歴任した。それでも台湾人としての意識は強く1951年には台湾問題を考慮する際には台湾の政治、経済文化環境を考慮すべきであるとの見解を示し、李純青(中国語版)などから地方主義と批判されている。
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