首長交代/招致断念
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「ヒロシマ・オリンピック構想」の記事における「首長交代/招致断念」の解説
2011年1月、秋葉は市長退任を急遽発表、五輪招致の立候補は次の市長の判断に委ねられた。そのため、同年4月に行われた2011年広島市長選挙において、招致の是非も問われることになった。結果、招致否定派の松井一實が当選した。 2011年4月14日、松井市長は就任初の会見において正式に招致断念を表明した。理由として挙げたのが以下のとおり。 市の財政改善および経済活性化が最重要課題であること。 五輪招致と平和運動は別箇のこととして対応すべきであること。 同年3月に起きた東日本大震災の影響から国の財政援助が望めない可能性が高まったこと。 実現に向けた工程表をまったく作成しておらず、今後の展開が不透明だったこと。 2011年5月23日、最後の五輪招致検討委員会を開催、その場で松井市長は五輪招致断念を提案し了承され、すべての五輪招致活動は終了した。なお、当初は27自治体の首長が出席した委員会だが、最後は松井と田上長崎市長と三村裕史熊野町長だけが参加し事務方も10自治体は出席しなかった。 2011年6月13日、松井市長はJOCの竹田恒和会長と会談、断念を正式に報告し広島五輪構想は完全に白紙となった。
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