飯能弁財天とは? わかりやすく解説

心応寺

(飯能弁財天 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/15 04:20 UTC 版)

心応寺 しんのうじ
所在地 埼玉県飯能市大字原町277番地
位置 北緯35度51分38秒 東経139度19分10秒 / 北緯35.86056度 東経139.31944度 / 35.86056; 139.31944
山号 万寿山[1]
宗旨 曹洞宗[1]
本尊 釈迦如来[1]
開山 材室天良[1]
開基 加治貞継
別称 心應寺
法人番号 3030005014592
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心応寺(しんのうじ)は、埼玉県飯能市にある曹洞宗の寺院である。旧字体では心應寺と書く。山号は万寿山。境内に弁才天を祀る神社がある。

本尊は釈迦如来像。他、地蔵菩薩千手観音等。

歴史

この寺の創建年代については不詳であるが、嘉禎4年(1238年)の板碑飯能市最古)があることから、鎌倉時代の草創といわれている。

開基は加治貞継、応永3年(1396年)没。約200年後の天正年間に(1573年 - 1591年)に能仁寺の材室天良が開山。慶応4年(1868年)の明治維新飯能戦争戊辰戦争)の際、広渡寺観音寺などと共に振武軍(幕府軍)が立てこもった寺の一つ。

また明治時代まで、飯能市原町から八幡町は真能寺村という村だったが、この寺の名前からついたといわれる[注釈 1]

文化財

行事

飯能弁財天

境内の南東に池がある。池の中の島に朱塗りの弁財天宮が建てられており、飯能弁財天と呼ばれている。

文暦年間(1233年 - 1235年)に行脚の、萬寿達道が弁天地蔵を祀ったのが草創といわれている。

脚注

注釈

  1. ^ 新編武蔵風土記稿』は「村名の起り詳ならず」としている[1]

出典

参考文献

外部リンク


飯能弁財天

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 08:29 UTC 版)

心応寺」の記事における「飯能弁財天」の解説

境内南東に池がある。池の中の島朱塗り弁財天宮建てられており、飯能弁財天と呼ばれている。 文暦年間1233年 - 1235年)に行脚の僧、萬寿達道弁天地蔵祀ったのが草創といわれている。

※この「飯能弁財天」の解説は、「心応寺」の解説の一部です。
「飯能弁財天」を含む「心応寺」の記事については、「心応寺」の概要を参照ください。

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