非常時・戦時の動員
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 05:22 UTC 版)
「親衛隊髑髏部隊」の記事における「非常時・戦時の動員」の解説
髑髏部隊は平時は強制収容所の管理に当たるが、内乱や戦争など非常時には国内秩序維持のために動員されることになっていた。そしてその場合に空白となる強制収容所での任務は45歳以上の一般親衛隊の予備隊などを以って充てるとされていた。 1938年10月のズデーテン併合の際にも第1髑髏連隊「オーバーバイエルン」に属する二個大隊が進駐に参加している。また1939年にはダンツィヒ自由都市の市議会の要請に応じて第4SS髑髏連隊「オストマルク」の第3大隊がダンツィヒに配置され、「ダンツィヒ郷土防衛軍(Heimwehr Danzig)」を編成した。この大隊は隊長の名前を取って「ゲーツェ大隊」とも呼ばれる。 1939年9月1日にドイツ軍のポーランド侵攻があり、第二次世界大戦が開戦した。髑髏部隊もポーランドに派遣され、治安任務にあたった。第1SS髑髏連隊「オーバーバイエルン」と第3SS髑髏連隊「テューリンゲン」は第10軍の後方、第2SS髑髏連隊「ブランデンブルク」は第8軍の後方に送られ、反乱分子や知識人、ユダヤ人などを殺戮する任務にあたった。これらの連隊はポーランド軍と戦うことはなかったが、ダンツィヒにいる髑髏部隊の「ゲーツェ大隊」は軍の指揮の下に戦闘に参加している。髑髏師団編成のため、「ゲーツェ大隊」を含めて髑髏部隊はドイツに戻された。なお殺戮活動はアインザッツグルッペンによって続けられた。
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