津波記念館
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津波記念館(つなみきねんかん)は、津波による災害を後世に伝えることを目的として造られた施設。
- ^ 「宮城県昭和震嘯誌」、第二章 記念事業 第一節 記念館の設立
- ^ 川島秀一 (2011年12月3日). “津波常襲地の生活文化”. 第860回談話会要旨(2011年12月3日=震災の記憶と語り―民俗の再生へむけて―). 日本民俗学会. 2013年10月27日閲覧。
- ^ “奥尻島津波館”. 奥尻町. 2013年10月27日閲覧。
- ^ a b c d “津波被害伝え続け38年 気仙沼・唐桑「体験館」26日最終営業”. 河北新報. 2022年6月17日閲覧。
- ^ “唐桑半島ビジターセンターのリニューアルについて”. 気仙沼市. 2013年10月27日閲覧。
- ^ “[https://namie-ukedo.com 震災遺構 浪江町立請戸小学校]”. 震災遺構浪江町立請戸小学校 (2022年10月7日). 2022年10月13日閲覧。
- ^ a b c “東日本大震災伝承施設 福島・富岡の「ふたばいんふぉ」きょう30日閉館”. 河北新報. 2024年3月29日閲覧。
- 1 津波記念館とは
- 2 津波記念館の概要
- 3 参考文献
震嘯記念館
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日本においては1933年(昭和8年)の昭和三陸地震における津波被害を伝えるとともに、各集落における避難場所・共同作業所などとして利用することを目的として、義捐金を元に震嘯記念館(しんしょうきねんかん)が、宮城県内の集落32ヶ所の高台に建設された。しかし、太平洋戦争の勃発と戦後の混乱もあってその多くが忘れ去られ、気仙沼市唐桑町に集会所として残る「旧唐桑震嘯記念館」以外、ほとんどの震嘯記念館は現存していない。
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