陸奥国と出羽国の境界
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 15:13 UTC 版)
秋田郡以北の建郡の状況はよく分かっていない。平安時代初期までは、蝦夷を出羽側の「蝦狄」と陸奥側の「蝦夷」に分けて記録されており、後に陸奥国となる紫波郡が出羽国管轄の「志波村」とされているなど、陸奥との境界は不明瞭であった。平安時代末期には奥州藤原氏の支配を通じて、出羽国府の直接管轄地よりも北が陸奥国として整理されたと見られている。この時期に陸奥国比内郡(戦国時代以降は秋田郡北部)、鎌倉時代初期には河北郡(当初は陸奥国か出羽国か不明、後に出羽国檜山郡を経て江戸時代以降は山本郡)が置かれ、これらは中世末期までに出羽国の領域に入ったとする見解がある。
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