阪田寛夫と信時潔との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 22:51 UTC 版)
「海道東征」の記事における「阪田寛夫と信時潔との関係」の解説
親戚に信時の同級生がおり、また叔父の大中寅二、従兄の大中恩は作曲家、特に大中恩は後に信時の指導を受けた一人である。このような音楽的背景の下、阪田は信時作品に興味を寄せていたが、ある日演奏会で『海道東征』を聞いて大いに気に入った。親に同曲のSPレコードを(皇紀2600年祝賀にことよせて)購入してもらい愛聴する。復員後大阪朝日放送東京支社の社員となっていた阪田は1962年の正月企画として『海道東征』の再演とラジオ放送を思い立つ。スポンサー、初演者、大中恩(コールMeg)らの協力を得て演奏会は成功、信時の最晩年を飾ることとなった。
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