閻魔王に関する伝承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/28 09:35 UTC 版)
寺に所蔵される『よみがえり草紙』によれば、本堂に安置される閻魔王は、永享11年(1439年)6月6日、慶心坊尼を頓死させた。頓死させた理由は、存命中に仏道の修行を怠(なま)けると地獄に堕ちるということを知らせるために、地獄の恐ろしさを見聞させ、逆修を勧めさせるためであった。閻魔王は「閻魔大王の証判を持つ物は地獄に落ちない」といい、閻魔王の証判をもっていた慶心坊尼は地獄に堕ちた3日後に蘇生したという。 その後、嘉吉元年(1441年)10月15日、読経中の慶心坊尼が青蜘蛛(くも)をつかむと青蜘蛛は舎利に変わったという。嘉吉2年(1442年)、慶心坊尼が逆修供養を営んだ際に、客僧が来訪し、閻魔王の木像を刻んで姿を消した。その客僧が閻魔王であったという。 「青蜘蛛の舎利」、「閻魔大王木像」、「閻魔大王実判」は現在も、長寳寺に伝わっている。 慶心坊尼が、この出来事を書いたものが、『よみがえりの草紙』で、逆修を勧めるために書いたものが『逆修講縁起』である。 年に一度、5月18日に本尊十一面観世音菩薩とともに、閻魔王木像が開扉されて、僧侶により法要が行われる。また、僧侶が閻魔王像の前にて宝印を参拝者の体に触れて加持を行う。 現在、授与品として、「閻魔大王実判宝印」、「閻魔大王実判御札」があり、朱色(朱印)で閻魔大王実判(書き判・花押)が記してある。
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