関時男_(1907年生)とは? わかりやすく解説

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関時男 (1907年生)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/23 22:55 UTC 版)

せき ときお
關 時男
足に触った幸運』(1930年)出演時、満23歳。左から月田一郎斎藤達雄
本名 關口 辰夫(せきぐち たつお)
生年月日 (1907-06-26) 1907年6月26日
没年月日 (1945-02-26) 1945年2月26日(37歳没)
出生地 日本 東京府東京市(現在の東京都
死没地 日本 東京府東京市神田区小川町(現在の東京都千代田区神田小川町
身長 154.5cm
職業 俳優、元撮影技師
ジャンル 軽演劇劇映画現代劇サイレント映画トーキー
活動期間 1923年 - 1943年
配偶者
著名な家族 関時男(息子)
主な作品
『そりゃ実感よ』
『男女押し比べ』
音楽喜劇 ほろよひ人生
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関 時男(せき ときお、1907年6月26日 - 1945年2月26日[1][2])は、日本の俳優、元撮影技師である[3][4][5][6]關 時男と表記されることもある。本名は關口 辰夫(せきぐち たつお)[3][4][5][6]。戦前・戦時中にかけて、鈴木傳明主演映画や斎藤寅次郎監督の松竹蒲田撮影所名物・蒲田ナンセンスコメディーを中心に多くの作品で活躍した[5][6]。息子は俳優・声優の関時男[7]

来歴・人物

1907年(明治40年)6月26日東京府東京市(現在の東京都)に生まれる[3][4][5][6]。生年については、1904年(明治37年)とする説もある[8]

1923年(大正12年)2月、慶応義塾普通部を卒業後、松竹蒲田撮影所撮影助手として入社する[3][5][6]。ところが、1927年(昭和2年)5月には、諸事情により同所俳優部に異動した[3][4][5][6]。同年7月15日に公開された牛原虚彦監督映画『村の人気者』において、同所の二枚目スターだった鈴木傳明と共演したことから、関は当時所内で大きな権威を持っていた「傳明グループ」のメンバーとなり、短身小躯で独特のユーモアと愛嬌を振りまいて、所内の名物男となった[3][4][5][6]。なお、1979年(昭和54年)10月23日に発行された『日本映画俳優全集 男優篇』(キネマ旬報社)では、映画『山の人気者』で鈴木傳明の助演をしたという旨が記されている[3]が、誤植である。また、チョビ髭を生かした小柄な身体のコメディアンとして、撮影所名物「松竹蒲田ナンセンス・コメディー」には欠かせない存在となり、1930年(昭和5年)末からは映画監督・斎藤寅次郎のいわゆる「寅さん喜劇」にも起用された[3][4]

1931年(昭和6年)9月、鈴木傳明のほか、岡田時彦高田稔渡辺篤横尾泥海男吉谷久雄木村健児らが一斉に松竹蒲田を退社し、新たに不二映画社を創立するに伴い、関も同所に移籍する[3][4][6]。以降、同年12月31日に公開された鈴木重吉監督映画『栄冠涙あり』などに出演したが、1932年(昭和7年)11月に横尾泥海男、渡辺篤らと共に退社[3][4][6]。退社後は浅草公園劇場にて旗揚げした喜劇爆笑隊を経て、翌1933年(昭和8年)には古川緑波率いる軽演劇の劇団笑の王国に加入している[3][4][6]。その後、同年11月9日に公開された太秦発声映画J.O.スタヂオ共同製作の水島正雄監督映画『千鳥格子 戀の市丸』に特別出演したのち、日活多摩川撮影所へ移籍したが、もはや松竹蒲田撮影所、並びに不二映画社時代の面影は無く、既に精彩を失っていた[3][4][6]。1929年(昭和4年)に発行された『日本映画俳優名鑑 昭和五年版』(映画世界社)など一部の資料によれば、身長は5尺1寸(約154.5センチメートル)、体重は12貫800匁(約48.0キログラム)[5][6]

1935年(昭和10年)4月11日に公開された千葉泰樹監督映画『ジャック喧嘩帖』に出演したを最後に、日活多摩川を退社[3][4]。『日本映画俳優全集 男優篇』などでは、以降の動向については全く述べられていない[3][4]が、退社後は自ら喜劇レビューセキオヤ・ショウを組織した後、劇団笑の王国に復帰したとされ、1940年(昭和15年)1月時点では既に生駒雷遊大竹保(大竹タモツ)、田谷力三、横尾泥海男、カワベキミオ、中村是好、松宮照枝らと共に在籍していた事が確認出来る[9]。この間、1941年(昭和16年)2月8日に公開された中野英治監督映画『将軍』に特別出演しているが、同作が確認出来る最後の出演作品となった[3][4]

1942年(昭和17年)12月1日、田谷力三、横尾泥海男、小宮凡人、松宮照枝らと国民喜劇座(関時男一座)を組織し、東京府東京市浅草区(現在の東京都台東区)にあった江川劇場に出演[10]。なお、同劇場は1944年(昭和19年)3月までに強制疎開で取り壊しとなり、その後は浪花座など関西各座を巡業していたが、出演中に倒れて帰京[1]。1945年(昭和20年)2月26日、脊髄癆のため、東京府東京市神田区小川町(現在の東京都千代田区神田小川町)の佐野病院で死去した[1][2]。満37歳没。

日本映画データベースキネマ旬報映画データベースにおいて、息子の関時男 (1944年生)との混同がみられる。

出演作品

松竹蒲田撮影所

全て製作は「松竹蒲田撮影所」、配給は「松竹」、特筆以外は全てサイレント映画である。

  • 『村の人気者』:監督牛原虚彦、1927年7月15日公開 ※デビュー作[3]
  • 『村の医者とモダンガール』:監督大久保忠素、1927年11月18日公開
  • 『近代武者修行』:監督牛原虚彦、1928年1月4日公開
  • 若人の夢』:監督小津安二郎、1928年4月29日公開 - 泥酔者
  • 彼と東京』:監督牛原虚彦、1928年5月12日公開
  • 『踊れ若者』:監督清水宏、1928年6月8日公開 - モダンボーイ
  • 女房紛失』:監督小津安二郎、1928年6月15日公開 - 探偵の助手
  • 『彼と田園』:監督牛原虚彦、1928年8月24日公開
  • 『拾った花嫁』:監督清水宏、1928年9月14日公開 - 留公
  • 『陸の王者』:監督牛原虚彦、1928年11月10日公開
  • 『孝行やり直し』:監督斎藤寅次郎、1928年12月26日公開
  • 『珍客往来』(『珍客万来』):監督佐々木恒次郎、1929年1月10日公開
  • 『大当り円満』:監督大久保忠素、1929年1月27日公開
  • 『彼と人生』:監督牛原虚彦、1929年1月27日公開
  • 『夜の牝猫』:監督五所平之助、1929年2月9日公開
  • 『あひる女』:監督清水宏、1929年3月9日公開 - 自転車屋春吉
  • 『噴泉騒動』:監督佐々木恒次郎、1929年3月24日公開
  • 『村の王者』:監督清水宏、1929年6月7日公開 - モダンボーイ
  • 『現代婿選び』(『現代婿選み』):監督佐々木恒次郎、1929年9月6日公開
  • 『山の凱歌』:監督牛原虚彦、1929年9月13日公開
  • 『裏町の大将』:監督佐々木恒次郎、1929年10月10日公開
  • 『情熱の一夜』:監督五所平之助、1929年12月15日公開 - 船員小見山
  • 『恋の遠眼鏡』:監督佐々木恒次郎、1929年12月25日公開
  • 『ちょっと出ました三角野郎』:監督佐々木恒次郎、1930年1月5日公開 - 唯介
  • 『独身者御用心』:監督五所平之助、1930年2月1日公開
  • 『大東京の一角』:監督五所平之助、1930年3月28日公開
  • 落第はしたけれど』:監督小津安二郎、1930年4月11日公開 - 落第生
  • 『抱擁』:監督清水宏、1930年6月13日公開
  • 『嫁とり根気比ベ』:監督佐々木恒次郎、1930年6月26日公開
  • 『モダン奥様』:監督重宗務、1930年7月20日公開
  • 『会社員首よけ戦術』:監督野村浩将、1930年8月1日公開
  • 『愛は力だ』:監督成瀬巳喜男、1930年8月29日公開 - 運転手山田
  • 『ザッツ・オー・ケー いゝのね誓ってね』:監督島津保次郎、1930年9月26日公開
  • 足に触った幸運』:監督小津安二郎、1930年10月3日公開 - 吉村老人
  • 『若者よなぜ泣くか』:監督牛原虚彦、1930年11月15日公開 - 新聞記者
  • 『色気だんご騒動記』:監督斎藤寅次郎、1930年11月28日公開
  • 『新時代に生きる』:監督清水宏、1930年12月5日公開 - 労働者・寅公
  • 『モダン籠の鳥』:監督斎藤寅次郎、1931年1月10日公開
  • 『私のパパさんママが好き』:監督野村浩将、1931年1月31日公開
  • 『ねえ興奮しちゃいやよ』(『ねぇ興奮しちゃいなよ』):監督成瀬巳喜男、1931年2月7日公開 - 悪漢
  • 『夫よなぜ泣くか』:監督野村浩将、1931年3月6日公開
  • 『出戻り歓迎』:監督石川和雄、1931年3月公開 - 主演
  • 『この穴を見よ』:監督斎藤寅次郎、1931年4月3日公開
  • 『そりゃ実感よ』:監督清水宏、1931年4月10日公開 - 天野京一(主演)
  • 『街の浮浪者』:監督池田義信、1931年5月11日公開
  • 『男女押し比べ』:監督佐々木康、1931年6月12日公開 - 主演
  • 『涙の愛嬌者』:監督野村浩将、1931年7月31日公開
  • マダムと女房』:総指揮城戸四郎、監督五所平之助、1931年8月1日公開 - 音楽家 ※トーキー
  • 腰辨頑張れ』:監督成瀬巳喜男、1931年8月8日公開 - 保険勧誘員・中村
  • 『○○自慢』:監督松井稔、1931年8月15日公開
  • 『娘の意気高し』:監督斎藤寅次郎、1931年8月15日公開
  • 『島の裸体事件』:監督五所平之助、1931年9月11日公開
  • 『マネキン亭主』:監督佐々木恒次郎、1931年月日不明公開

不二映画社

全て製作は「不二映画社」、配給は「新興キネマ」、全てサイレント映画である。

  • 『栄冠涙あり』:監督鈴木重吉、1931年12月31日公開 - 短艇部員
  • 『ルンペン俄大盡』:監督渡辺篤、1931年月日不明公開
  • 『天国の波止場』:監督阿部豊、1932年月日不明公開 - 徹の友人B
  • 『熊の出る開墾地』:監督鈴木重吉、1932年月日不明公開 - 郵便配達
  • 『アメリカ航路』:監督青山三郎、1932年月日不明公開 - アパートの受付
  • 金色夜叉』:監督鈴木重吉・青山三郎、1932年月日不明公開 - 斉藤
  • 『銀嶺富士に甦る』:監督鈴木重吉、1933年月日不明公開 - 彦作

日活太秦撮影所

特筆以外、全て製作は「日活太秦撮影所」、配給は「日活」、特筆以外は全てサイレント映画である。

日活京都撮影所

全て製作は「日活京都撮影所」、配給は「日活」、全てサイレント映画である。

  • 『子供バンザイ』:監督大谷俊夫、1934年4月5日公開 - のらくろ美術看板店大将一平(主演)
  • 『嬉しい娘』:監督千葉泰樹、1934年5月3日公開 - 山田源吉
  • 『心の太陽』(『心の太陽 前篇』:監督牛原虚彦、1934年5月10日公開 - 床屋A

日活多摩川撮影所

全て製作は「日活多摩川撮影所」、配給は「日活」、全てサイレント映画である。

  • 『夫を想へば』:監督大谷俊夫、1934年5月31日公開 - 拾い屋の小父さん
  • 『花嫁日記』:監督渡辺邦男、1934年10月4日公開 - 酒屋の小僧
  • 『芸者三代記 明治篇』:監督千葉泰樹、1934年10月7日公開 - 太鼓持ち桜川善八
  • 『三つの真珠』:監督重宗務、1935年2月14日公開 - 木山国彦
  • 『ジャック喧嘩帖』:監督千葉泰樹、1935年4月11日公開 - かんかん虫の留

フリーランス

全てトーキーである。

  • 『舗道の囁き』:監督鈴木傳明、製作・配給加賀四郎プロダクション、1936年月日不明公開
  • 『将軍』:監督中野英治、製作中野英治プロダクション、配給新興キネマ、1941年2月8日公開 - 車夫の熊さん

脚注

  1. ^ a b c 「關時男(訃報)」『東京新聞』1945年3月3日、2面。
  2. ^ a b 「(死亡廣告)關時男(關口辰夫)」『朝日新聞』1945年3月6日、2面。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『日本映画俳優全集 男優篇』キネマ旬報社、1979年、302頁。 
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m 『芸能人物事典 明治大正昭和』日外アソシエーツ、1998年、314頁。
  5. ^ a b c d e f g h 『日本映画俳優名鑑 昭和五年版』映画世界社、1929年、156-157頁。 
  6. ^ a b c d e f g h i j k l 『日本映画俳優名鑑 昭和九年版』映画世界社、1934年、147頁。 
  7. ^ 広告批評』第69号、マドラ出版、1985年2月1日、87頁、NDLJP:1853034/45 
  8. ^ 『日本演劇 第2巻第12号』日本演劇社、1944年、59頁。 
  9. ^ 『演芸畫報』昭和15年1月号、演芸畫報社、144頁。
  10. ^ 『演劇年鑑 昭和18年』日本演劇協会、1943年、344頁。 

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