間知(検知けんち)と川狩り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/30 10:15 UTC 版)
谷々で割立てられた榑木は谷川の所定の帳場に運ばれる。帳場では割立て人別に木口が見えるように100挺(これを一垪という)ずつ縦横に積む。四垪(ならべ)が一棚である。これをお役人が村役人立会で間知(検知)し、長榑木・短榑木別に上・中・下・下々・刎木の等級をつけて極印を打った。これで村方から役人に榑木を渡したことになる。帳場改の済んだ榑木は村役人の責任で管理させられた。川下げは三年分をまとめて渇水期の冬にするのがふつうである。帳場からは天竜川支流を川下げして河口の渡場(どば)へ集積しておき、支持された時に天竜川に流して川下げする。榑木は川の途中に滞留しやすいので、これを狩り立て流さなくてはならない。これを川狩りと呼んだ。支流の川下げは小谷狩りと呼ばれ、川をせきとめた堰をいくつも作り、水の流れで順次下すため、入用と労力が大変だった。川を下した榑木は、幕府代官所役人の責任となるため、沿岸の幕府領・私領を問わず村継に川狩りを命じた。榑木を盗み取る者は死刑に断じ、厳しく取り締まった。
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