開校初期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 20:15 UTC 版)
1860年、ビクトリア州司教区と極東女性教育振興協会(the Society for the Promotion of Female Education in the Far East、FES)は、香港の英国国教会に所属する女子校である曰字樓女館を、ビクトリア教区との提携の元に設立し、ロビンソン総督夫人が後援者となった。 最初の年次報告によると、学校設立の目的は「現地の女子にキリスト教教育を提供すること」だった。校舎は、ボンハム・ロードの水田に囲まれた場所に建つ小さなコンクリートの建物で、教育、寄宿生活等、キャンパスでのすべての活動は、この校舎で行われた。 間も無く、学校は存続の危機に直面する。第二次アヘン戦争による反英感情の高まりから、現地の住民は自分の娘に英語を習わせたくなかったのだ。学校は一旦閉鎖され、「ディオセサン女子学校」(Diocesan Female School)として再開したが、経営状況は依然として苦しいものだった。 1868年、チャールズ・リチャード・アルフォード司教は学校を直接の監督下に置いた。
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