開善寺(飯田市)とは? わかりやすく解説

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開善寺 (飯田市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/07 03:11 UTC 版)

開善寺
所在地 長野県飯田市上川路1000
位置 北緯35度27分44.3秒 東経137度48分54.2秒 / 北緯35.462306度 東経137.815056度 / 35.462306; 137.815056座標: 北緯35度27分44.3秒 東経137度48分54.2秒 / 北緯35.462306度 東経137.815056度 / 35.462306; 137.815056
山号 畳秀山
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 聖観音菩薩
創建年 1335年
開基 小笠原貞宗
文化財 山門、絹本著色八相涅槃図、画文帯四仏四獣鏡(重要文化財
法人番号 4100005011292
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開善寺(かいぜんじ)は、長野県飯田市上川路にある臨済宗妙心寺派寺院山号は畳秀山。本尊は聖観音菩薩

歴史

寺伝によると、鎌倉時代に伊賀良荘に入部した四条頼基が創建。

建武2年(1335年)、小笠原貞宗清拙正澄を開山として中興されたとされる。

暦応元年(1338年)には足利尊氏御教書により諸山に列し、

応永34年(1427年)には天与清啓の尽力により、室町幕府から十刹に列せられた。

室町時代後半になると寺は衰え、明応8年(1499年)には火災による堂宇の焼失もあった。

しかし天文18年(1549年)、松尾城小笠原信貴により復興され、現在の妙心寺派に転派した。

慶長6年(1601年)には徳川家康配下の伊那郡代官朝日受永より、朱印地35石を寄進される。

重要文化財の山門を除く、本堂や経蔵などは江戸時代に建立されたもので、このうち梵鐘は戦国時代に持ち去られ、現在は伊那市高遠町(旧高遠町)の桂泉寺にある。

文化財

重要文化財(国指定)

絹本著色八相涅槃図
  • 山門 - 室町時代の建立。元来三間楼門(柱間3間の2階建て門)だったものだが、現在は単層切妻造となっている。1954年重要文化財に指定。
  • 絹本著色八相涅槃図
  • 画文帯四仏四獣鏡 飯田市御猿堂古墳出土

画像

参考文献

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関連項目




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