朝日受永とは? わかりやすく解説

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朝日受永

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/18 14:00 UTC 版)

朝日 受永(あさひ じゅえい、天文18年(1549年) - 慶長8年(1603年)7月28日)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将旗本は「近路(ちかみち)」。受永は「寿永」とも。

略歴

大和源氏源頼親流で、父は朝日新三郎。武田氏先方衆下条氏の旧臣で、天正10年(1582年)の武田氏滅亡後に徳川家康秀忠に拝謁し、豊臣政権下での関東移封により、武蔵国児玉郡(現・埼玉県)内に500石を賜る。慶長4年(1599年)、代官頭大久保長安の意を受け、信濃国伊那郡(現・長野県)の郡内の社寺に一斉に安堵状を発給し、同6年(1601年)同郡代官となる。

家康は江戸城駿府城の普請用材確保のため、信州伊那谷蔵入地を設定し、長安により地方支配と材木宰領を委任されたため、本年貢を榑木で上納する榑木成り村を創成した。同8年(1603年)に没すると、榑木奉行は千村良重に引き継がれた。

享年55。法名は「安済」。嫡男の近次は大阪の陣に参戦し、旗本として明治維新まで続いた。また武田氏の陪臣時代、足軽の古田右衛門に朝日姓を与え朝日善右衛門と名乗らせ、『鸚鵡籠中記』の作者朝日重章はその子孫にあたる。

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