開善寺 (本庄市)とは? わかりやすく解説

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開善寺 (本庄市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/28 06:05 UTC 版)

開善寺
所在地 埼玉県本庄市中央2-8-26
位置 北緯36度14分31.6秒 東経139度11分12.7秒 / 北緯36.242111度 東経139.186861度 / 36.242111; 139.186861座標: 北緯36度14分31.6秒 東経139度11分12.7秒 / 北緯36.242111度 東経139.186861度 / 36.242111; 139.186861
山号 畳秀山
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 観音菩薩
創建年 天正19年(1591年
開山 救山宗温
開基 小笠原信嶺
文化財 絹本着色清拙正澄画像(埼玉県指定有形文化財)、紙本着色武田信玄公画像、開善寺境内絵図、小笠原信之の墓(以上、本庄市指定文化財)
公式サイト 開善寺
法人番号 7030005009036
開善寺
開善寺 (埼玉県)
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開善寺(かいぜんじ)は、埼玉県本庄市にある臨済宗妙心寺派寺院。武州本庄七福神めぐりの布袋尊を祀る[1]

歴史

1591年天正19年)、小笠原信嶺の開基である。信嶺は前年に主君の徳川家康より本庄領1万を封ぜられた。そして信嶺自身の菩提寺として創建したのが当寺の起源である。寺号の「開善寺」は、父の信貴が再興した開善寺長野県飯田市)に由来する。小笠原氏はその後も転封を繰り返し、最終的に越前勝山藩に落ち着き、勝山にも開善寺を創建している[2]

江戸時代境内はかなり広く、南と東は仲町愛宕神社があるところまで、西は第二トキワ座通りまでが当寺の境内であった。明治以降に十分の一に縮小した[2]

当寺の墓地には、開基の信嶺と養子の信之の墓がある[3][2]

文化財

  • 絹本着色清拙正澄画像(埼玉県指定有形文化財 昭和30年11月1日指定)[4]
  • 紙本着色武田信玄公画像(本庄市指定文化財)[5]
  • 開善寺境内絵図(本庄市指定文化財)[5]
  • 小笠原信嶺夫妻の墓(本庄市指定文化財)[6]
  • 小笠原信之の墓(本庄市指定文化財)[6]

交通アクセス

脚注

  1. ^ 本庄市観光ガイド”. 本庄市観光協会. 2022年10月10日閲覧。
  2. ^ a b c 長谷川勇 著『開善寺≪本庄≫(さきたま文庫29)』さきたま出版会、1991年、6-25p
  3. ^ 開善寺トップページ開善寺
  4. ^ 埼玉県文化財目録埼玉県、57p
  5. ^ a b 市指定文化財(有形文化財)本庄市
  6. ^ a b 市指定文化財(記念物)本庄市

参考文献

  • 長谷川勇 著『開善寺≪本庄≫(さきたま文庫29)』さきたま出版会、1991年

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