閉港後の変化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 21:59 UTC 版)
閉港後、ターミナルビルは取り壊されずに残され、香港政庁の合同庁舎(啓徳政府大楼(啟德政府大樓)、Kai Tak Government Building)として、従前の設備を利用して税関や入国管理当局の訓練所などとして利用された。空港の閉鎖後、建物が取り壊されるまでに、滑走路はBEYOND、張惠妹などの大型コンサートに数回使用された。この他、出発ターミナルだった場所にゲームセンターや屋内ゴーカート乗り場などのアミューズメント施設も入居していたが、2004年9月頃から始まった工事により取り壊された。 運用当時は、航空機が市街地上空を通過する都合上、周辺は空港に近づくにつれ低いビルしか建てられない、という高さ制限が設けられていた。空港が無くなった現在はその規制も撤廃された。そのため、例えば高級住宅地の九龍塘では、従来12階建て相当の高さに規制されていたが、現在ではその内の数軒が30階建て程度のマンションに建て替えられるなど、景観に変化が出始めている。また、空港に誘導するための着陸誘導灯が無くなったため、市街地でのネオンサインの点滅が解禁となった。 「zh:啟德發展計劃」も参照
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