長野日報への改題
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1992年1月1日、『南信日日新聞』と『日報』グループ8紙を統合して題号および社名を『長野日報』に改称し、諏訪版、伊那版、塩尻版、木曽版の発行を始めた。1993年12月にはコンピューターを利用した新聞編集システム「かりん」が稼働。2000年10月、新聞社として世界初となるISO14001の認証を取得し、2001年に新しい新聞編集システムを導入した。 2005年、発行部数の低迷を理由に、塩尻版および木曽版の発行を休止し、塩尻支社および木曽支局を閉鎖した。木曽版については、塩尻版で競合関係にあった市民タイムス(松本市)が発行を事実上引き継いだ。2009年3月、本社隣接地に印刷センターが完成し、西研グラフィックス製の「西研65型」オフセット輪転機と新編集システムの使用を開始した。2010年からは読売新聞社との間で、イベント記事やおくやみ記事などを交換する編集協力を行っている。 題字のデザインは2012年から原田泰治によるものを使用。
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