長寿寺 (名古屋市)とは? わかりやすく解説

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長寿寺 (名古屋市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/27 01:26 UTC 版)

長寿寺
本堂
2020年令和2年)5月)
所在地 愛知県名古屋市緑区大高町鷲津山13番地
位置 北緯35度4分6.2秒 東経136度56分30.9秒 / 北緯35.068389度 東経136.941917度 / 35.068389; 136.941917座標: 北緯35度4分6.2秒 東経136度56分30.9秒 / 北緯35.068389度 東経136.941917度 / 35.068389; 136.941917
山号 鷲頭山
宗旨 臨済宗
宗派 臨済宗永源寺派
本尊 木彫阿弥陀如来坐像
創建年 不明
開山 越博紹付
開基 長寿院元操尼
中興年 元禄2年(1689年
中興 道雲石梯
正式名 鷲頭山長壽禪寺
別称 鷲巣山長祐寺(真言宗時代の名称)
札所等 知多四国霊場:87番
知多西国三十三所霊場:26番
法人番号 9180005001810
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長寿寺(ちょうじゅじ)は、愛知県名古屋市緑区大高町鷲津山にある臨済宗永源寺派寺院山号は鷲頭山(わしずさん)。本尊阿弥陀如来知多四国霊場第87番札所[1]

沿革・歴史

当寺の草創の年代は不明である。当時は真言宗に属し鷲巣山長祐寺と呼ばれていたが、永禄3年(1560年桶狭間の戦いの際、鷲津砦の兵火で焼失[1]

江戸時代になり大高領主志水忠継の母である長寿院元操尼の遺命により延宝8年(1680年)、当地に愛知県春日井郡三淵村(現在の小牧市の一部)にあった、紫金山慈眼寺(臨済宗黄檗派)を移し、その慈眼寺を開山した越博紹付を迎え、当寺の開山とした[2]

天和2年(1682年)に伽藍を竣工し再興。このとき寺号を長寿寺、宗派を黄檗宗に改めた。その後当寺は一旦中絶したが元禄2年(1689年)、臨済宗興聖寺派の大本山である興聖寺から道雲石梯が訪れ中興開山した。後に元禄4年(1691年)、臨済宗永源寺派に再び改宗した[2]

なお、当寺は前述のとおり志水氏の菩提寺として、江戸時代には同氏一族の占有となっていたため、一般の檀家は少数である。また、寺域内には志水氏の9代から14代までの墓がある[2]

文化から文政年間(1804年から1829年頃)にかけて、知多四国霊場の87番札所として弘法堂が設けられた。

江戸時代末期から明治時代初期にかけて刊行された尾張国地誌尾張名所図会」に当寺の記述が境内の俯瞰図とともに収録されている[3]

明治21年(1888年)7月19日、火災により本堂および庫裡を焼失。この際、本尊は偶然寺の付近で東海道本線の工事をしていた作業員らにより運び出され、無事であった。その後明治31年(1898年)に新しい本堂、庫裡が再建された。このとき焼失を免れ残っていた山門(鐘楼門)は大正元年(1912年)の台風で倒壊し、後に再建された[2]

昭和20年(1945年)3月から5月にかけての名古屋大空襲によって山門その他諸堂や蔵などを焼失。貴重な資料の多くが失われた。

これらは戦後長らく焼失したままの状態であったが、昭和54年(1979年)、山門その他諸堂が再建され、現在の長寿寺が竣工した。

境内

本堂
昭和54年(1979年)再建。鉄筋コンクリート造。
弘法堂
知多四国霊場の第87番札所。
山門(鐘楼門)
昭和54年(1979年)再建。鉄筋コンクリート造。
庫裡
高蔵坊(こうぞんぼう)稲荷
当地に伝わる伝説で、長寿寺の再興に尽力したとされている老狐を祀っている。
昔、長寿寺の住職である高蔵坊が、寺が傷んでも修理できず困っていた折、住職の可愛がっていた狐が住職の姿に変わり、この寺の御利益を説いて町村を廻り、その結果参拝者が増え寺は立派に修復できたと伝わる。村人はその狐を「高蔵坊狐」(こうぞんぼうぎつね)と呼びお堂を建てて祀ったとされている[4]
現在でも毎年3月第1日曜日に例祭が行われている。
長寿寺会館
2階建て。葬儀や法要、地域のイベント等に使用される会館となっている。

行事・祭事等

青空市(あおぞらいち)
毎月「4」と「9」のつく日(4日、9日、14日、19日、24日、29日)に山門前の駐車場脇にて、地元の生鮮食料品や菓子、衣料品などの露天販売が行われている。
高蔵坊稲荷大祭
3月第1日曜日。地元有志による幟旗の奉納や甘酒、藤竹飯(とうたけめし)などの振舞いが行われ多くの参拝者で賑わっている。

ギャラリー

所在地

  • 〒459-8001:愛知県名古屋市緑区大高町字鷲津山13

周辺

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b 現地案内石碑及び立札より. 2018年3月4日閲覧.
  2. ^ a b c d 大高町誌編纂委員会 (1960). 大高町誌. 黎明書房 
  3. ^ 国会図書館デジタルコレクション「尾張名所図会」前編 巻6 知多郡”. 国立国会図書館. 2018年4月14日閲覧。
  4. ^ 現地立札より.大高歴史の会.2019年2月9日閲覧.



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