長井元重とは? わかりやすく解説

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長井元重

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/27 14:19 UTC 版)

 
長井 元重
時代 戦国時代 - 江戸時代前期
生誕 永禄10年(1567年
死没 寛永18年11月1日1641年12月3日
改名 湯浅元重→長井元重
別名 通称:次郎五郎→藤右衛門尉
主君 毛利輝元秀就
長州藩
氏族 藤原北家秀郷流湯浅氏大江姓長井氏
父母 父:湯浅将宗
養父:長井就安
兄弟 元重、湯浅就宗[1]就重[1]、湯浅宗喜[1]、湯浅基宗[1]、女(粟屋五郎兵衛室)[1]
正室:長井就安の娘
就次
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長井 元重(ながい もとしげ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将毛利氏家臣で長州藩士。実父は湯浅将宗で、長井就安の婿養子となる。

生涯

永禄10年(1567年)、備後国世羅郡伊尾村[注釈 1]の尾首山城を本拠とした国人である湯浅将宗の嫡男として生まれる[1][2]

天正17年(1589年9月8日毛利輝元から「藤右衛門尉」の官途名と「元」の偏諱を与えられた[3]

文禄2年(1593年5月4日文禄の役に従軍していた長井元保朝鮮において戦死したことにより、長井元保の父・長井就安の娘と婚姻し、婿養子として長井氏家督を相続した[2]

慶長20年(1615年6月8日、嫡男の就次が父に先立って死去し、就次の嫡男・元昭はまだ幼少であったため、元重の歳の離れた弟である就重が就次の正室と再婚して家督を相続した[2]

寛永18年(1641年11月1日に死去[2]。享年75[2]

脚注

注釈

出典

  1. ^ a b c d e f 萩藩諸家系譜 1983, p. 878.
  2. ^ a b c d e 『閥閲録』巻103「長井二郎右衛門」家譜。
  3. ^ 『閥閲録』巻103「長井二郎右衛門」第3号、天正17年(1589年)9月8日付け、湯淺次郎五郎(元重)殿宛て、(毛利)輝元官途状。

参考文献




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