鎌倉公方の動揺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 23:15 UTC 版)
同じ宝徳2年、成氏は鎌倉に戻った後に代始めの徳政を行った。例えば、9月と10月に鶴岡八幡宮寺少別当が売却した土地を返却させている。関東諸国に向けて、新しい鎌倉公方の権威を誇示する目的であったと考えられる。宝徳3年(1451年)、成氏は従四位下左兵衛督に昇進した(『喜連川判鑑』など)。 享徳元年(1452年)、室町幕府の管領が畠山持国から細川勝元に替わった。勝元は鎌倉公方に対して厳しい姿勢をとり、関東管領の取次がない書状は受け取らないと言い渡した。関東管領を通じて、再び幕府が関東を直接統治する意思を示したものである。
※この「鎌倉公方の動揺」の解説は、「足利成氏」の解説の一部です。
「鎌倉公方の動揺」を含む「足利成氏」の記事については、「足利成氏」の概要を参照ください。
- 鎌倉公方の動揺のページへのリンク