金陵八家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 09:09 UTC 版)
清初期、江南の主要都市には個性ある画家が現れた。前出の弘仁とその一派は、徽州(新安)で活動したことから新安派とも呼ばれた。古都南京(金陵)には多くの優れた画家が活動し、中で龔賢(きょうけん)、高岑(こうしん)、樊圻(はんき)、呉宏(ごこう)、鄒喆(すうてつ)、葉欣(しょうきん)、胡慥(こぞう)、謝蓀(しゃそん)らを金陵八家と称した。八家のうち、鄒喆、葉欣、胡慥、謝蓀の現存作品は少ない。同じ頃、安徽宣城には、もっぱら黄山の風景を描き、黄山画家と呼ばれた梅清(ばいせい)がいた。 龔賢(1618 - 1689年以後)は江蘇昆山の人で南京に住んだ。無人の山水画をもっぱら描き、濃墨を塗り重ね、墨の濃淡のコントラストを強調した作風が特徴。 高岑(生没年不明) - 杭州の人で南京に住んだ。山水や水墨の花卉をよくした。 樊圻(1616 - ?年) - 南京の人。生年は1611年、没年は1694年とも。山水、花鳥、人物のいずれもよくした。 梅清(1623 - 1697年) - 安徽宣城の人。黄山風景を得意な構図と画法で描いた。 査士標(1615 - 1698年)- 安徽休寧の人で揚州に住んだ。倪瓚、董其昌に学んだ山水画を描いた。書は米芾と董其昌を学んだ。彼とその周辺の画家を新安派と称する。
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