金沢公園 (横手市)とは? わかりやすく解説

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金沢公園 (横手市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/06 03:19 UTC 版)

金沢公園
分類 都市公園(地区公園)
所在地
座標 北緯39度22分23.11秒 東経140度34分17.16秒 / 北緯39.3730861度 東経140.5714333度 / 39.3730861; 140.5714333
面積 0.90ha
開園 1906年
運営者 横手市
現況 冬季閉鎖
事務所 金沢孔城館
事務所所在地 秋田県横手市金沢中野字長持213番地1
公式サイト 金沢公園(横手市)
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金沢公園(かねざわこうえん)は、秋田県横手市金沢中野にある都市公園(地区公園)[1]

1906年(明治39年)に景政巧名塚を中心に、ツツジを植えて公園として整備されたのがはじまりである。後三年の役の古戦場である金沢柵の跡地と言われている場所にあり、園内には金澤八幡宮などがある。敷地面積は0.90ha[1]

園内の主な施設

  • 金澤八幡宮
    1093年に、源義家藤原清衡に命じて、京都石清水八幡宮八幡神を観請して創建し、金澤八幡神社としたのが始まりである[2]
  • 景政功名(かげまさこうみょう)塚
    鎌倉権五郎景正は16歳で戦に参加し、大軍を前にするも勇敢に戦ったことから源義家に認められ、この地に敵の遺体を集めてを作り供養した[2]。そこにを植えて「景正功名塚」となった。この杉の巨木は、1948年(昭和23年)の火災によって枯死しており、現在は残った一部のみが保存されている[3]
  • 御野立所
    御野立所と呼ばれる、移動中の貴人が野外で休憩する場所。
  • 納豆発祥の地」碑
    後三年の役の際、兵糧不足に悩んでいたところ、馬の背で大豆発酵納豆が誕生したという伝説がある。この伝説から、「納豆発祥の地」碑が設置されている[4][5]

アクセス

自動車
E46 秋田自動車道 / E13 東北中央自動車道 横手ICから約15分
E46 秋田自動車道 横手北SICから約15分
路線バス
横手バスターミナルから羽後交通 横手・大曲線に乗車、金沢公園前停留所で下車してすぐ

周辺

脚注

  1. ^ a b 横手市の都市公園”. 横手市 (2021年9月28日). 2021年12月22日閲覧。
  2. ^ a b 金沢公園”. 一般社団法人 横手市観光推進機構. 2021年12月22日閲覧。
  3. ^ 景政功名塚”. 日本伝承大鑑. 2021年12月22日閲覧。
  4. ^ ひきわり納豆って、どんな納豆?”. ヤマダフーズ(おはよう納豆). 2021年12月22日閲覧。
  5. ^ 【定住促進】横手うまれのこんなもの”. 横手市 (2021年9月28日). 2022年2月11日閲覧。

外部リンク




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