重要美術品認定開始の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 16:07 UTC 版)
「重要美術品」の記事における「重要美術品認定開始の経緯」の解説
1921年(大正10年)、日本の絵巻物の代表作の1つである吉備大臣入唐絵巻が、海外へ流出した(同絵巻は現在、アメリカ合衆国・ボストン美術館所蔵)。このことをきっかけとして、日本の古美術品の海外流出を防止するための法整備の必要性が論議されるようになった。当時も、国宝(当時の古社寺保存法に基づく「国宝」は、文化財保護法における「重要文化財」に相当)指定物件については、日本国外への持ち出しは禁止されていたが、未指定文化財については、国外への持ち出しを禁ずる法的根拠はなかった。 そこで、1933年(昭和8年)に「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」が制定された。この法律によれば、歴史上または美術上特に重要な価値のある物件の海外輸出には文部大臣の許可を要することとされ、許可を要する物件は、文部大臣が認定し、官報に告示することとなった。この法律に基づいて認定され、官報に告示された物件を「重要美術品等認定物件」または「重要美術品」と称し、略して「重美」と称している。なお、重要美術品については「指定」と言わず、一貫して「認定」の語が用いられている。
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