采女枚夫
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/08 15:21 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動采女 枚夫(うねめ の ひらぶ)は、飛鳥時代から奈良時代にかけての貴族・漢詩人。名は比良夫とも表記される。姓は朝臣。官位は正五位下・近江守。
出自
采女氏(采女朝臣)は穂積氏の一族。采女の統括を担当した伴造氏族。もと臣姓であったが、天武天皇13年(684年)八色の姓の制定により朝臣姓に改姓している[1]。
経歴
大宝4年(704年)に従六位上から三階昇叙され従五位下に叙爵。のち従五位上に叙せられるなど文武朝で順調に昇進し、慶雲4年(707年)文武天皇の崩御の際には御装司を務めている。
元明朝に入り、和銅2年(709年)に造雑物法用司が初めて置かれると、多治比三宅麻呂らと共にこれに任ぜられた。治部少輔を経て、和銅3年(710年)に近江守に転じ、和銅4年(711年)正五位下に至る。
官歴
注記のないものは『続日本紀』による。
- 時期不詳:従六位上
- 大宝4年(704年) 正月7日:従五位下
- 時期不詳:従五位上
- 慶雲4年(707年) 10月3日:御装司(文武天皇葬儀)
- 和銅2年(709年) 3月23日:造雑物法用司。7月25日:見治部少輔[2]
- 和銅3年(710年) 4月23日:近江守
- 和銅4年(711年) 4月7日:正五位下
脚注
参考文献
- 采女枚夫のページへのリンク