鄭桜桃への寵愛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 07:22 UTC 版)
石虎は妓女の一人である鄭桜桃を見初めると、石勒の母である王氏へ彼女の事を賛嘆したので、王氏は彼女を妾として与えた。石虎は鄭桜桃を甚だ寵遇し、彼女との間に石邃・石遵の二子を生んだ。 前後は不明だが、石勒は征北将軍郭栄の妹を石虎の妻として与えた。両者の間に子は出来なかったが、彼らは互いに敬待し合っていた。だが、鄭桜桃は嫉妬心から彼女を讒言したので、石虎は郭氏を死に追いやった。 またある時、石虎は清河出身の崔氏の娘を妻として迎えた。鄭桜桃が男子を生むと、崔氏はこれを自らの子として養育したいと求めたが、鄭桜桃は許さなかった。その後、一月ほどで子が病死してしまうと、鄭桜桃は崔氏のことを讒言して「崔は多くの胡人の奴僕を養っていると言っておりました」と、石虎へ告げた。この時、石虎は庭中で胡床に座っていたが、これを聞くと激怒して弓矢を求めた。崔氏は石虎が自分を殺そうとしていると知ると、裸足のままで進み出て「公(石虎)は罪なきものを殺そうとしております。どうか妾(私)の言を聴き入れて下さいますよう」と請うたが、石虎は聞きいれずに「座に戻るように。これは卿の預かり知ることではない」と告げた。崔氏は走って逃げようとしたが、石虎が背後から矢を放ち、腰に当たって死亡したという。 これらの出来事は、石虎の残虐非道な振る舞いを表していると晋書では酷評されている。
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