郡故事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/29 04:31 UTC 版)
中央の機関のみではなく、地方機関においても同様の故事が存在した。例えば、漢の各地に設置された郡においてはそれぞれ当地の実情に即した故事が存在して、人々の生活を規制していた。郡の故事はそれぞれの太守が自由に制定・改廃可能なものであり。当該太守の在任中は強い強制力を有していたが、必ずしも次の太守に引き継がれる訳ではなかった。儒教の影響が強い琅邪郡の太守となった朱博が着任すると、主な属官が揃って病休を取った。理由を尋ねると、故事では太守が着任すると、そのたびに吏を遣わして彼らを見舞い、それから初めて彼らが職務に就くことになっている」と聞き、朱博は激怒して休んだ属官を悉く罷免して他の属官や県の長官の中から有能の者を選んでこれに替えた。また、郡の議曹を廃止し、儒者の奏文に経書の説を引用した文面があると、「自分はただの漢の官吏で三尺の律令を奉じて職務に従事するばかりで、あなたのおっしゃる聖人の道などできそうもない。その道は持ち帰って堯舜のような君主が出てきたら、その方に申上げてほしい」と述べた。このようにして郡の風紀は数年間で一変した。また、交阯郡における徴姉妹の反乱を鎮圧した馬援は、城郭を修築し水路を掘って灌漑を行うとともに、現地の律で漢の律と異なるものを上奏して故事として用いるようにして郡内を取り締まった。その後も同地の人々はこれらを「馬将軍の故事」として奉じた。交阯の律で漢の律にないものを故事として引き続き採用したのは馬援による実質上の軍政下で実施された臨時の措置であったが、平穏になった後も現地では郡故事として継続されたことが知られる。なお、郡と同じように古代中国の地方機関として存在していた州や諸侯王の国においても「州故事」「国故事」が存在したと考えられているが、現時点で存在が確認できるのは、郡における「郡故事」のみである。
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