遠野三山
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岩手県遠野では、坂田村麻呂が東征の時に奥州に国津神の後胤という「玉山立烏帽子姫」という女神がおり、その美貌から夷の酋長大岳丸に言い寄られるも応じることはなかった。田村麻呂は勅使を奉じて東北の地に下だり、この立烏帽子姫の案内によって蝦夷を討伐し、頭領である大岳丸を岩手山で討ち取った。立烏帽子姫は田村麻呂と夫婦の契りを結び田村義道と松林姫の一男一女を産んだ。義道は奥州安倍氏の祖であり、松林姫はお石、お六、お初の三女を産んだ。お石は守護神である速佐須良姫の御霊代を奉じ石上山に登った。お六は速秋津比売の御霊代を奉じ六角牛に登った。お初は瀬織津比咩を奉じ早池峯に登ったという。
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遠野三山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/05 07:39 UTC 版)
岩手県遠野では坂上田村麻呂が東征の時、奥州に国津神の後胤という女神・玉山立烏帽子姫がおり、その美貌から夷の酋長大岳丸に言い寄られるも応じることはなかった。田村麻呂は勅使を奉じて東北の地に下だり、この立烏帽子姫の案内によって蝦夷を討伐し、頭領である大岳丸を岩手山で討ち取った。立烏帽子姫は田村麻呂と夫婦の契りを結び田村義道と松林姫の一男一女を産んだ。義道は奥州安倍氏の祖であり、松林姫はお石、お六、お初の三女を産んだ。お石は守護神である速佐須良姫の御霊代を奉じ石上山に登った。お六は速秋津比売の御霊代を奉じ六角牛に登った。お初は瀬織津比咩を奉じ早池峯に登ったという。
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