道徳的判断の見地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/10 08:47 UTC 版)
帰結主義のような多くの規範的道徳理論の一つの重要な特徴は、実践的な道徳判断を生み出すその能力である。少なくともどの道徳理論も、帰結の善が定められる見地を定義する必要がある。ここで第一に問題になるのが行為者の責任である。 理想的観察者 帰結主義のよく知られた戦略は、特に利他主義的見解に関係する帰結主義の場合、そこから道徳的判断がなされる理想的・中立的観察者を利用することである。功利主義批判者であるジョン・ロールズは、功利主義は他の帰結主義と共通してそんな理想的観察者からの見地に依存していると批判する。この理想的観察者は、任意の行為の帰結全てを把握する全知の観察者とは異なる。理想的観察者とは、合理的に期待されうる程度に知っているが必ずしも可能な帰結すべてを知っているわけではない、あくまで理想的に知識のある観察者を指す。この枠組みを採用する帰結主義理論は、正しい行為とはこの理想的観察者の見地から最善の帰結を生み出す行為であると主張する。[要出典] 実際の観察者 当然実践の場面で、いつでも理想的観察者の見地をとることはとても困難であるように思われる。結局、個々の道徳的行為者は彼らが置かれた状況に関する特定の数の帰結だけ、したがって、特定の行為の可能な帰結だけを知る。したがって、何人かの論者が批判してきたのは、帰結主義理論では、その状況で知る事柄に沿って最善の行為を選ぶことしか行為者には要請されないということである。しかし、単純に考えて、もしその行為者がその状況に関してわざわざ知ろうとしなかったならば、帰結主義の考えから望ましくない結果が導かれる。[要出典]
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