週刊文春糾弾事件
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『週刊文春』1985年5月9日号に、筒井康隆による「士農工商SF屋」との表現が掲載されると、部落解放同盟が抗議。筒井は「多種多様な業界で自嘲的に使われている成句であり、その限りにおいて部落差別の隠喩にもなりえない」と突っぱねたが、文藝春秋は部落解放同盟に謝罪した。 その後、部落解放同盟の小林健治から筒井に「週刊文春とは話がついたが、あなたとはまだついていない」との電話があった。「話をつける」とはこの場合あきらかに「詫びさせる」という意味だったので、筒井は話し合いを断った。すると部落解放同盟の小林健治は「この電話は個人の資格で言っているのではなく、背後には部落解放同盟20万の人間がいる」と言った。 この言葉に逆上した筒井は、思わず「20万が200万であろうと」云々と怒鳴りあげ、後になってからそのことを大人げない行為と反省しつつも「これはやはり先方の言い方に問題があるので、この言い方をされたら、たいていの者は脅えるか怒るかなのだ」と、部落解放同盟にも反省を促している。 この一件につき、野町均は「差別表現をネタに、背後には部落解放同盟20万の人間がいると恫喝めいたことを口にするような姿勢が、どれほど堕落したものであるかは、おのずと明らかであろう」と批評している。
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