通信社へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 07:27 UTC 版)
帝大を卒業後、実家近くの呉服屋の5女と結婚した長谷川は、郷里の青森で暮らしていた。未だ就職先が決まっておらず、このままではいけないと猛勉強を始めた矢先、この地を訪れた岩永裕吉(新聞聯合社専務)に出会った。岩永と意気投合した長谷川は、聯合への入社を決めた。洗足に家を借りて妻と暮らしたが、家賃は聯合での初任給と同じ30円であったため、しばらくは親の援助に頼らねばならなかった。 外信部に配属された長谷川は、外信局長古野伊之助及び外信部長相良左の下で、業務の習熟に務めた。 「辞書を引くのを見たことがない」と同僚に言わしめた長谷川の英語力は、外信部で遺憾なく発揮された。満州事変に関する調査をしていたリットン調査団が最終報告を作成した際には、報告の内容を伝えるAP電を届いたそばから和訳して読み上げ、部下に書き取らせた。出来上がった訳文は素晴らしく、添削の赤ペンを入れられることなく直ちに各新聞社に送られたという。
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