近鉄奈良線暴走追突事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 22:45 UTC 版)
「日本の鉄道事故 (1949年以前)」の記事における「近鉄奈良線暴走追突事故」の解説
1948年(昭和23年)3月31日 近鉄奈良線の奈良発上本町行き急行電車(デボ1形3両編成)が、生駒トンネルを走行中にブレーキが効かなくなり、トンネル内からの下り坂を加速・暴走、河内花園駅を発車しかけた前方の普通電車に70 - 80km/hで追突した。木造車体が大破し、特に1両目は原型さえも留めていないほどであった。この事故により49名が死亡した。 原因は戦中戦後の酷使の結果、老朽状態で放置されていたブレーキホースの破損とされる。 詳細は「近鉄奈良線列車暴走追突事故」を参照
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