近代イギリスの研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/02 23:08 UTC 版)
イギリスで初めて本書が翻訳されたのはグラハム大佐による1874年の出版であったが、これはすぐに絶版となる。1909年にマクワイヤにより出版されると、グラハムの翻訳も再版されてモード大佐による解説が付せられた。この頃からクラウゼヴィッツがイギリスでも読まれるようになり、海軍戦略家のコーベットは自らの海軍戦略の構築の際に彼の戦争の一般理論が海洋戦争にも応用可能であることを指摘した。 しかし第一次世界大戦ではクラウゼヴィッツの絶対戦争の理論だけが抽出されて理論的に再構成され、変容させられていくことになった。イギリスの戦略思想家であったベイジル・リデル=ハートは殲滅戦の理論家としてのクラウゼヴィッツに対する批判を『ナポレオンの亡霊』などで加えており、この批判は彼の間接アプローチ戦略という思想の成立をもたらした。また同時代に活躍した戦略家のフラーは『戦争論』を参考として近代戦争の性格を分析している。
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