軍事民主制の発展と確立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 06:48 UTC 版)
ペルシア戦争に勝利したアテナイは、サラミスの海戦などで三段櫂船の漕手として活躍した下層市民の発言権が強まり、ペリクレス時代には「五百人評議会(有力者層から成る)」の方針を討議する「民会」(参照:プニュクス)も設置された。一部の上級職(将軍職)を除いた全ての公職が市民に解放され、出自や能力に関係なく立候補が可能になった。また、経済的に任に堪えない市民(市民のみが兵役の義務を負う)に対しては「公職手当」が支給された。後世、ソクラテスやプラトンは「市民を怠け者にした」として、これを非難する。 公職は、毎年改選される将軍職を除いて、その地位を希望する市民に対して籤引きで決定された。籤引きは神による選択の現れとも信じられていて、アテナイ人はそれが純粋に民主的であると考えていた。これに対してソクラテスやアリストテレスは専門的知識が必要な決定ですらそれを持たない市民で決められてしまうと批判するが、こうした批判は正しいと言わざるを得ない、なぜなら後にソクラテスは専門的な法律知識を有する者が参加していない籤引きで選ばれた裁判官の私感によって、死刑判決が下されたからである。
※この「軍事民主制の発展と確立」の解説は、「アテナイ」の解説の一部です。
「軍事民主制の発展と確立」を含む「アテナイ」の記事については、「アテナイ」の概要を参照ください。
- 軍事民主制の発展と確立のページへのリンク