赤軍軍人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 00:55 UTC 版)
「ミハイル・トゥハチェフスキー」の記事における「赤軍軍人」の解説
こうした情勢の中、祖国の新しい権力に従うことを決めたトゥハチェフスキーは、1918年4月にボリシェヴィキ党と赤軍に入る。まともな軍事教養を持たない農民などの被支配階級がほとんどの赤軍では元帝政軍人が重用され、トゥハチェフスキーも中将・軍司令官の待遇で迎え入れられた。1918年6月には第1軍司令官としてヴォルガ川流域まで破竹の勢いで侵攻してきたチェコスロヴァキア軍と戦い、9月にはシビルスクを占領してレーニンから賞賛された。1919年3月、シベリア政府(白軍)のコルチャーク軍の進攻があった際には主力である第5軍司令官を任せられ、見事にコルチャーク軍を撃破。この功績で赤旗勲章を授与された。さらに1919年秋になると、今度はデニーキン将軍の軍勢が南方からモスクワに迫り、トゥハチェフスキーは南方方面軍司令官としてこれと相対し、優れた戦争指導で1920年3月までにデニーキン軍を総崩れにする。
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